ナントモハヤ

明日のぼくを殺せ。昨日のきみを救うために。

2011の師走の終わりクダをまき首が絞まる

 はてなブログだァ―――――ッ!(ドコドコドコ

 オープンベータになったというのに、なんかあまり代わり映えがしたようにみえないんですけどね。デザインが増えたわけでもないみたいだし、タグみたいなのつかえるわけでもないからあまり記事をモサモサ増やせそうにもないしで、さてこの場所をどう使うかと思案しながらも、2011年は残酷なまでに終わろうとしているわけです。また今年もなにもしなかった。去年も今年もなにも為し遂げなかったのなら、来年もまた何も為し遂げずに、このまま人生なんてものは終わっていくんだろうなあと思うわけです。こんなこと考えるの、二十代半ばまでだと思ってました。だからずっと、このままなんだろうなって思う。おっ、この調子でやっていくと、このブログは酒を入れたダウナーな気分の時にただひたすらクダを巻き続ける誰も得しない吐瀉物の溜め池になるんじゃありませんか? そんな酸っぱい場所に誰が訪れるんです? 見て欲しいのあなたの内側からたまらず逃出してきた薄汚いものをみんなが見たってその事実だけで、そのみすぼらしいヒキコモリの屹立をレッドスネークカモンさせてしまうの? ヒキコモリは関係ないだろ! 怯えて生きて悪いのかよ! ちくしょう……ちくしょう……! twitterでやれ。そうtwitterのIDはもちろんch1hayaですよろしくね。おいこの入力画面、大きさ変えられないのかよ。


 今年はすごかった。一年中職があった。しかも定職があったので、あげくぼくはのうのうとした実家暮らしであるから、無頓着な預金通帳の残高も増えていく。三月に一度映画を観ても、一月に一度ゲームを買っても、週に一度つけめんを食べても、半年に一度同人誌を出しても、家賃と称して下宿民の気持ちを学ぶためにとばかりに雀の涙ばかりの金銭で母親の頬を張り飛ばしてみても、それでも残高が増えていく。けど、それはそれで微々たるもので。だって、今のぼくが就いている職は一度落伍した、もしくはもはや一度人生を全うしたものが手慰みに就くものと覚えられている類の職だから。もらいも責任も将来性も世間体もなにもかも平均点の南回帰線にすら届かない。だが、今の状況で、仮に天涯孤独であったとしても生きて行くには足りていると思うのだ。これから先、何も得ることなく、何も失うことがなければ。そのことを考えると不安でしょうがない。そしてもはや、不安になってもどうしようもない齢なのだ。丸二十七時間仕事をして、一日半の休みを前にベッドに倒れ込むと、枕から微かにかおるオッサンの臭いに舌を噛みたくなってそのまま眠る。不安で眠れない時は、仕事が不安だったり、眠れないことで支障がでてしまうことが不安なのだ。そんなときがばかばかしくてつらい。いままでだって、そんなことには頓着なく生きてきたのだ。何があっても眠り、何があっても朝餉をすすっていたのだ。ニートであっても、日がな一日カードをめくっていたころでも。それがなにをいまさら不安に思うことがあるのだろうか、ヘマをやらかし、叱られることが、悪くしたら職を失うことが、さらに悪いことには自分のしくじりで誰かが被害を被ることまで想像し「関係ない」と言い聞かせても、誰かの呟きを眺めながら気付けば朝の五時で泣いた。そんな一月ばかりの状況は一月ばかりで治まった気がするけれど、ずっとくすぶっている気がしてならない。こんな気楽な職でもこうなるのだから、そうでない人々はどうやって生きて居るのだろうと思う。こんな気楽なぼくでもこうなるのだから、もっと繊細な人はどうやって生きているのだろう。
 こんな時間のあるぼくだから、どうにかなったのだろうか。とか思う。時間を無駄にするということはとてもつらい。限りのある時間という資源があって、しかもそれは不正確で不公平なもので、挙げ句の果てに目に見えやしない。時はゴウゴウと流れるし、流れ去った時間は二度と返ってはこない。時間は古くなるほど、重くなるのだ(ドラえもん「時はゴウゴウと流れる」より)。でも、無駄にする時間さえあれば助かった命なんてものは、この国にゴロゴロしてるんだろうなって思う。ビュンビュン回ってたコマは、休むと死んじゃうのだろうか。また糸を巻くことは、回りすぎてふらついて、窓の外に飛び出してしまうことよりも面倒で馬鹿げていることなんだろうか。
 ここは、いつもより多く回っているあの人たちが敷き詰められていて、空は見えないし、誰かのはね飛ばした小石がはね飛ばされて来ることはあるけれど。酒を飲む時間も、無為に呟きを観る時間も、映画を観る時間も、ゲームをする時間も、繁華街を散歩する時間もある。こんなことを書きたかった訳じゃないんだけど。源泉徴収票を見て吐きそうになってるから、ついこんな事書いてる、ぼくでこうなら、あなたがたはどれくらい吸い取られているんですか。ぼくは去年、そんなみなさんのマネーで資格を取って、よっぴて一人神様に「何事もありませんように!」と祈っていれば勝手に夜が明ける仕事に就きました。感謝しています。このもらいは、家庭を持つには足らず、一人で生きるには過不足のない、この国にとってとても有意義な数字なんです。みんな、がんばってね、未来は任せました。もうだめだ、酔いが醒めたよタイムリミットだ今日はここまで。


 「幸福の数値」なんてものに、心ゆさぶられている人たちを液晶越しに眺めて笑っています。 
 お互いに笑いあっていられれば、いいと思う。