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ナントモハヤ

明日のぼくを殺せ。昨日のきみを救うために。

 他人にものを勧めるときの作法(途中)

思考


 作法とはなにか。マナーと言い換えてもいいかもしれない。マナーって要は気遣いであるからして、食事であれば「自分や同席する他人がうまいメシを食えるように」できたルールであろうと(もちろんそうでない、儀式的に意味のあるものもあるだろうけど)思うわけ。「俺たちはロックンロールだ! ルールなんて知ったこっちゃねえぜ! 大人は誰も俺たちの話に耳をかたむけねえ!」っていうのは要は、相手も大人で暇がねえから、最低限の作法に沿わないものはめんどくさくて聞いてられないんですよね、そこには変換が必要になるから。ガキの言葉と大人の言葉が違うように。こうすれば肉が上手く切れるように、予め準備をしておいてやるのが、作法のあるべき意義であろうと思うわけです。


 そんなわけで、他人にモノを勧める。ということについて。

 ぼくだけの話かもしれないけど、「これすごくいいから!」ってただ連呼されても、ひたすらに気持ち悪いだけで全く興味をもたないというかむしろマイナスの印象を持つ。いや、その人が、そのモノに触れて「これはいい……いい壺だ……いい……!」って独り言呟いているのは最高にキモいけれどよくわかる話なんだよ。それをみていればぼくは、それを街中とか、他で見かけたときに「あ、これ、イイって言われてた壺じゃないか」ってようやく認識する。この経過を踏まずに、まず口臭の漂ってきそうな面前数センチメートルで口角泡飛ばされながら「買いましょう!!!!」って言われると、そのモノもそれを押しつけてくる(ように見える)そいつすらもうっとおしくなるのである。どういう心のメカニズムかというと、そのうちのいくつかは自己防衛本能で「こやつそれがしのことたばかろうとしているな? 魑魅魍魎に心を売ったか!」となるのだ。別にすすめてくる奴が、人間的にそんなことしないよ! かれは素直で良い子なの! とかそんなのは本当に豪の毛ほどもどうでもいいのだ。むしろ良い子であるならなおさら悪い。それがウェイオブザアムチャーン(しゅご)的な何かに目の色をぐるぐるにされてしまっていないと信じられるに足るのか。まあ、実際にそいつが信用できるかどうかとかではない、そんなことを考えさせられたことによって、一気にヒューズが飛ぶのだ。そんな判断、したくないのだ。そうなるとまったくそいつの話は右から左に抜けていく。そのモノの名前だけが「触れてはいけない」リストに載せられて、善意のオススメする人と、面白いモノを求める薦められる人の双方にとって(もしくは、そのいいモノで商売するひとにも)まったくおいしくない結末になるのだ。


 何がそこに足りないのか、というと、安心じゃねえかな。ということになる。安心とはどういうことかというと、わかりやすさだ。わかりやすさとはなにかというと、物語だと思う。


 唐突だけどBボンからでているFチーネというスパゲッティーみたいなグミ菓子があるんだが、これがおいしいので、まあもう知っている人は知っているけど薦めてみようということになった。


「最近うまいグミみつけたんだよ、Fチーネっていうの! おまえも食った方がいいって! 人生変わるから!」
 
 まあこういうこと言う奴居ると思うんだよね。とはいえこの薦め方は最悪だ。「お前がグミを食ってうまかった」のはわかったが、なぜ「俺にもそれを薦める」のかわからねえしさらに「人生が変わる」ってお前、それ本当にグミなのか、ハッピーターンよりも数倍ヤバい粉がまぶされてるんじゃねえだろうな、お前、俺をアスセルファムカリウム(甘味料)の海に沈めてどうしたいんだ。って事になる。薦めるだけの理由がみえてこないというか、そこまでうまいということなのかもしれないが、所詮これはグミ菓子に過ぎないのである。しかもこいつは「グミがいい」といって以前冗談半分であの「生ラムネ」を薦めてきたこともある男でありまったくもって油断できず、むしろ真面目に聞いた方がバカを見るのだ。

 真面目にエントリにしようとして、やたらと長くなるしめんどうだしでとっくに飽きていることに気付いているだろうか。俺には向いてないというかどこに落とせばいいのかよくわからなくなってきた。やはりB型に論理的で計画的な思考の出力は向いていないと言わざるをえない。っていうかどうやって薦めれば人がひっかかってくれるのかとか俺が知りたいよ! 何故書いた! 書けるような気がしたんだよ! お前「わかりやすさとは、物語だと思う」ってしれっとドヤ顔で言いたかっただけなんじゃねえのか!? そうだよ!


  出かける時間なので、気が向いたら続きを書く。