ナントモハヤ

明日のぼくを殺せ。昨日のきみを救うために。

きらきらの涙の話

この前の雨の日に書いた記事があげた直後に消えた。ブクマしようとしただけなのに、更新したら何もかもなくなっていたのだ。

大した話を書いたわけでもないが、流行りの話にかこつけて自分語りをしていた。いつものパターンだ。しかしその自分語りは雨と静かな夜勤がもたらしたポエム成分がたっぷりの勢いなくしては世にぶちまけることのできない女々しい(いつも思うんだけどこの表現フーエーミーの人から怒られないのかな)(そんなピーティーエーっぽく言われてもな?)ものだ。

そうであれ失われたのはとても悲しい。悲しくて涙があとからあとから溢れて止まらなかった。こぼした涙は小川になり、やがて湖となり、海となりて循環を象った。俺はそれを見てどうでも良いとされた。24時間勤務の終わりなので朦朧としていた俺にはそれが海でも山でも虚無でも心底どうでも良かった。

涙の話をすると中一の時の最初の授業で教師が配った一枚のプリントの話を思い出す。ある教授が若い研究者たちにある水溶液の成分判定をさせるけど、薄い塩水という判定しかできない。教授は若手たちに、これは病気で子供をなくした母親の涙なんだよ。というタネを明かし若手たちは自分たちの傲慢さをはじるみたいな話。これ、今から科学を学ぶ中一にする話なのか? と当時強く思ったわけです。薄い塩水であることに違いはないし、それが母親の涙であることは重要かもしれないが、科学者の分析とはまた別のところで慮られるところなのでは?? と思ったりした。

いい話だろうとドヤ顔してる教師が気に食わなかっただけかもしれない。いい話だとは思うけど。あと今考えると、薄い塩水以外に体液的な成分検出されるべきだし、なによりこの教授はどうやってその涙を……あっこれ、教授自身が母親なんだ! わかってしまいましたね〜いま得心してしまいましたね〜、この教授の行為はなんらかのハラスメントに当たるのか、なんの代償行為なのか我々はかんがえていかないといけませんねえ。何笑ってんだ。

涙と教師といえばもう一つ話を思い出したんですよね。中学受験の塾の話。大手の塾に通ってたんですけど、ほとんど行くフリをしていってなかったあの塾。あんなに時間があったのにほとんど本屋でマンガかコンビニでエロ本読んでた。近くのセブンイレブン三国志ずっと読んでたら店長に出禁をくらった。俺は当時自分がそうであったように、大人も他人も自分のことなんか認識していないという気持ちでいたので追い出されて1週間後くらいにまたこりもせず曹操がこの先に梅の実が有ると自軍に言い聞かせ沸いた唾で渇きを忘れさせるシーンから読もうとしたら五分もしないうちに追い出された。なぜバレたのかよくわからんと言った心情だったように思う。

話がだいぶそれたが、涙と塾講師の話。ほとんどいないと言ってもたまには授業にいて、全部寝てたので授業何してたかよく覚えてない。その中で名物の国語教師がいたんです。彼は自分の授業がエンターテイメントに満ちていて子供の心をひくツカミがあるもので、わかりやすく、受験テクニックもあまさずひろうよくできた授業で講師だとおそらく、自負していた。

そんな中で寝てたやつがいれば面目は立ちませんので頭をボールペンで刺されたりした。子供心にマジか? いや寝てるのが悪いんだけど、マジでひっぱたくとかじゃなくてボールペンで頭を?? って正気を疑った。正気を疑いつつ幼い俺はその名物講師の悔しさというかバカにするなよというような、俺の忌避する感情を見た。要は俺の話を聞いてないくせに前の席ーー週1のテストで点数が良い方から前の席に座る毎週席替えがあるシステムなのだ。バカだと席が後ろに下がり、閾値を超えると下のクラスに落ちてしまうーーに座ってんじゃねえよ。という顔だ。

知らねえよ。

とはいえ本当に勉強しなかったので、結局中学入ってから落ちこぼれることになるわけで、勉強のやり方がわからないのでそのあと這い上がれない。努力して得たものではないので失うことに対する恐怖がない。子供の頃に頭が良くても、テレビのクイズ番組を見たりツイッターで知識自慢ごっこに混ざれる程度が関の山のおつむ。知らないことをググるときに前提となる基礎知識がある程度以外に何の役にも立たない。コストパフォーマンスが悪すぎる人生が爆誕

俺の話はいい。でそんな彼の授業の中で唯一覚えているのがその涙の話。これはなんか比喩の説明をするときに毎回やるようで、比喩がない文章などまあないし、中学受験「これは何を指しますか」ばっかりだったもんな。今は知らんが。

なにか価値ある落涙を指して「目からダイアモンドがこぼれ落ちた」といって説明をしていた。それだけ。

ふとこの前この人のことを思い出した。自分のことを変名を使い子供に呼ばせたり、謎の呪文を唱えたり、飽きやすい子供の心をどうにかしてつなぎとめ話を聞かせ興味を持たせようと努力をして、それに答えてくる子供には惜しげも無く全力で教えていたんだろう。そんな態度の中寝ていたらそりゃ悔しくもなるだろう。人気講師のようだったし今では偉い人になっているのではないか。そう思ってググってみると、独立してまた塾をやり、できの悪い子供を罰と称して下半身脱がせるなどして問題になっていた。やりそう。実にやりそうなことだった。子供の集団をまとめ統率するのに生贄を一人選ぶが如し、賢い、いやかつて賢かったやりくちだ。そんな話が子供か寛容な親で止まる程度なら。

しかし今はもう、そんな話が広がっていく。義憤であれ、怒りであれ、そこにどんな理由があろうと、講師に同調できる理由が、腕があろうと、そんなことをしては業火に焼かれるほかないのである。

さらに悲しいことに、その火は大して燃え広がりもしていなかった。当時俺よりも前の席にいて偏差値トップクラスの中学を総ナメしたいた同級生らを教えていた冴えた教鞭は、もはや彼らにふるわれてはいなかったから。

名前も、やり方も、時代から取り残されているように見えた。

当時、親父の出身校に合格した俺は親父とその塾に挨拶にいった。その講師がたまたま出てきてこう言った。「いやーお父さん! 正直彼には手を焼かされました!」とか言い放った。

えっなんで今そんなこと言うの? と思って、ヘラヘラしてた。しばらくして、ああ、この人、俺のことそんなに嫌いだったんだな。って子供の俺はようやく理解したんだ。

悪いことしたなとかは別に思わなかった。悔しいんだろう、あんたは別に、手なんか焼いていないんだから。俺に残ったあなたの教えは「目からダイアモンドそのものがこぼれ落ちることはない」というただそれだけなのだから。

 

そうでしょう、せんせい。