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ナントモハヤ

明日のぼくを殺せ。昨日のきみを救うために。

ヌルリ旅1-1 伊東 スイートハウスわかば 

甘味

 伊豆は伊東、熱海より乗り換えて伊東まで来るとまさに伊豆。海と山の気配を両方持った空気というのは旅先で吸い込めば至高であるしかもこの秋という季節のそれは格別だ。東京にいるとなかなか感じられない高低がともにある空気、缶詰にして売って大もうけをしよう!(ドラ)

 伊豆の踊り子が好きなうちの親父は若い頃からたびたびここに来ている。最近は天城高原でゴルフをする前にここにとまって友人たちと酒盛りをしてから行くのが定石になっているようだ。今回俺は、どういう脈略かは忘れたがそれに便乗することにした。親父たちは、この界隈の寿司屋で飲んだ後、シメでラーメン屋にいくそうだ。健啖なもんであるが、アラ還暦の親父たちはもう、旅先で新しい店を開拓するような気概などないの

 そんな親父たちの行きつけの伊東の寿司屋の話はまた他の機会に。さてそんな伊豆で食う江戸前の寿司に舌鼓を打った次の朝。起きるとプリキュアも始まる前に親父たちはチェックアウトしてしまっていた。スポーツマンの朝は早い。息子はゆっくりプリキュアでも見るかと思いきや。今日はマラソンでやっていませんでしたぁ! というオチ。ダークエナジーを両のまなじりより迸らせながら温泉に入って早々に宿をチェックアウトすることにした。
 しかしそこは勝手わからぬ伊東の街、以前神社巡りもしてしまったし、やたらと気合いの入った現地のオモチャ屋(アキバのレンタルショーケースもかくやというばかりの適正な値段のついたフィギュアの山、東京ではプレミアのついたカラードスリーブの潤沢な在庫、子供たちにプラモの作り方と手入れ、色の塗り方、写真の撮り方を教えていると思しきやたらと充実した謎のホビーショップがあったのだ)も堪能してしまったし、廃ホテルも探険(外側だけな)してしまったし。もはや車もないのにそんなに見るところもなさそうな気配だ。
 街をぶらついてみると「尻つみ祭り」という非常にワクワクする祭りの立て看板が主張していたが、開催はどうやら来週であり残念きわまる。あとで駅前のうらぶれた観光支援施設でその祭りのチラシをいただくと、どうやら明かりを消した社殿の中男女が車座に座り順番に酒を飲んでいくのだが、その順番が暗くてわからないために飲む順番に尻をつねっていくという(なんで尻つみ)祭事らしい。どうしてこう神社の祭りというのはムラ的なエロスを感じさせずにはおれないのだろうか。ということで10分ばかり想像をたくましくしているとおなかが空いてきた。だが時間はまだ早い。けれども、夏でもなく観光客の少ない(といっても、それなりにはいるのがこの地のめぐまれたところだろう、東京に近いというのは強い)(つっても特急つかわねえと二時間半かかるのだが)せいか、日曜の朝だからか、商店街のシャッターはほとんどしまっており、特に見るものもない。哀愁ばかりが漂う。多分もう開かなくなって十年ばかり経っていそうなクラブハウスやスナックのドアの前に蜘蛛の巣があり、その周りを猫がうろついている。猫は都会のものほど太ってはいないが、特にやせこけているわけでもない。海沿いの街であるからして、名物のひものでもちょろまかしながら生きているのか、それとも普通に飼われているのか。


 そんなシャッター街をあてどもなく歩いていると、昭和の香りを残しながらも、あまりにもあたまのおかしい看板が店頭にでているところに出くわした。

 
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 あと十五年若かったら泣いてるレベルで怖い。男の子だってしょうがない時はあるのだ。

 ルイス・キャロルだってアリスをバックで突きながら逃げ出しそうなイカれたウサギがソフトクリームを掲げている。何かの隠喩かと思うくらいだ。だがそれでいて、喫茶店の体を為しているその店の佇まいはいかにも普通で、まとまったシャレオツ感すら漂わせている。内側は、新宿の地下街にある老舗の喫茶店くらいにはこじゃれている。わたせせいぞうがこじゃれているかはわからんが壁一面に掲げられているのはどれもこれもわたせせいぞうなんだけど、伊東にゆかりでもあるのかしら。ないよな?

 とにもかくにも、食指が動いてしまったからにはしかたがない。

 日曜の朝から有閑マダムというか地元の、きっと昨日ビーチでひものを干していたおばちゃんたちと同じような人々が、一組テーブルを囲んでいる以外は特になんということもないよさそうで明るい店だ。昭和時代の銀座フルーツパーラーみたいな色あい(行ったことないけど)。
 主人もまあ。50くらいのおっさんだったが、愛想がない感じ。わかってなければ案内するけど、わかってるならすきにやってくれよ。みたいなこの投げっぱなしの感じは個人的には嫌いではない。(なにより楽だ)。手書きの、けっこうセンスを感じるA4メニューにはところせましとイラストやレタリング入りで説明がかかれている。おそらくソフトクリームを食べるべきで、他にもホットケーキやサンドイッチなどがある。コーヒーを頼みたかったが、さっき道すがらコンビニのを飲んでしまっていたので、どうしようかまよっていると季節限定のマロンサンデーなるものが目に入る。ソフトクリームにシロップをかけたものをここではサンデーと呼んでいるに違いない。ソフトクリームそのものにはコーンがついているようだが、サンデーにはないのが若干気にかかるが、それを頼む。温かいお茶とともにほどなくしてものが運ばれてくる。

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 でかい。
 思ったよりもパワーのあるでかさだ。でかいというか、ふくよかでありずっしりとしている。ゴローちゃん風に言うと「とんでもないものでてきちゃったな」って感じ。マロンソースでたぶん一番うれしい状態なのは栗が2、3こマロングラッセから引っこ抜いてきましたみたいな状態でごろごろと入っていることだと思うが、残念ながらそうではないし、そもそもソフトクリームがこれだけ万全の状態で、いかにマロンがみずからを主張してきても意味が分からないものになってしまう。共倒れというやつだ。そこまで意図しているのかどうかはわからないが細かく砕かれた栗が栗ソースに和えられてソフトクリームの山のまわりを彩っている。掬って食べると当たり前だが冷たい。色で気づかなかったがソフトの横にはたっぷりとホイップクリームが添えられている。なかなかどうして完璧だ。いや、本当に完璧ならウェハースの1、2枚も乗っていてくれればいうことはなかったのだが、それは贅沢だし、あれはあるとついつい急いで食べることができてしまうから善し悪しなのだ。
 そう「ゆっくり食べろ」といわんばかりに器には冷たく霜が降りているので、触れると冷たい。修行とばかりに11月上旬の店内も正直暖房なんかろくすっぽ入れてねえぞという感じに涼しいし、スプーンも冷えたのか冷やされたのかステンレスで冷たい。しかしソフトクリームであるのだといわんばかりにスプーンを当てれば、吸い込まれるように白い山の中にスプーンは吸い込まれていく。なんだ、モンブランは富士の袂にあったのか・・と言わんばかり。マウンテンの話はしていない。そして口に入れるとミルクの香りを残して溶けていく、どんな形だってソフトクリームはこの一瞬こそが至高である。
 ただ、ここで驚きだったのはこのソフトクリームの甘さである。個人的なイメージとして、ソフトクリームというのは甘い。特に、旅先にある300円くらいで供されるあのご当地ソフトクリームとかはうまいけどやたらと甘いのが相場だ、うちの親父はあれをみれば食べるのに食べきれないので俺によこすのだ。閑話休題。ここのソフトクリームは甘くない。いや、確かに甘いのだがすっと消えていく。冷たさというのは甘さ(というか味覚すべてを)抑えるというのはよく知られた話であるから、甘さ控えめというが、そういう話ではない。甘さがすっと主張した後、さわやかに消えていく。ソフトクリームといわずこういったものはなんとなくべたつく感覚があるものだが、この器の中にいるソフトクリームは感触がサラサラしている。ミルクをそのままクリームにして冷やしたら固まっちゃいましたといわんばかりだ。かといってミルクの香りがつよすぎて乳臭いなんてこともない。脳内の天秤が揺らされながらもそのどちらも地に着かない絶妙のバランス。
 だが、そのうまさにいきおい次々と食べようとすると、手が止まる。至福の時をできるだけ長く味わいたいという貧乏人根性でもない。冷たいのだ。冷たい上にウェハースとか舌をやすめるものがないから(一緒に出てくるお茶はひじょうにあたたかいが、それほど量がないので大切にあつかわなければならない。それに、ウェハースによる熱のごまかし保持と、熱く苦みをともなうお茶による舌のリセットはまた別の役割を持っているので混同してはならない)一気に行けないのだ。二口目には生クリームをすくい、それとソフトを半々にしていただく。今度は濃厚だ。
 ここでヤバいことに気づく。まだ試していないマロンソースとの組み合わせがもはや楽しみになってきている。正直、これだけのソフトクリームの量があり、さらに冷たくていきおい食べることができないとなれば、最大の敵は「飽き」である。ゆったりと甘みの毒は、たべることをうんざりさせるはずだし、そのうちにソフトクリームは溶けてしまうだろう。そうなったらがっかりだ。だが、この生クリームと、マロンソースを交互に食べ分けていくとこれ不思議と飽きない。旅先の喫茶店で時間を持て余したゆっくりとした時間にぴったりのアイテムだったのだ。
 マロンソースはむろん甘いのだが、細かく砕かれた栗は以外としっかりと栗の触感を主張する。贅沢な欲望だけの話をするとぼくはマロンソースの缶詰がめっぽう好きで(輸入食品店とかにあるとおもう)栗きんとんのきんとん部分みたいなものをちゃんとうらごしした栗だけでつくりましたみたいな贅沢なものに慣れ親しんでしまっていたものだから、出てきたマロンソースの見た目にあまり期待をしていなかったのだ。けれど、そんなしゅちょうたっぷりのマロンソースがもし出てきていても、この甘みを控えてしっかりと、しかし雄大にそびえるソフトクリームとの相性は悪かったと思える。生クリームとの相性も、こちらのほうが遙かによい。
 それらの組み合わせをひとしきりローテーションで楽しみ、冷えた口野中をあついお茶でリセットすると、むやみとほっとしてくる。

 そんなわけでゆっくりとただソフトクリームをなめながら50分ばかり過ごしてしまった。その間、日曜の朝のこの界隈には、老人が男女問わず一人ずつ訪れ、めいめいのテーブルに座ったり、顔見知りのいるテーブルに特に何も言わず座ったりするのだ。日曜の朝からサンデー食ってるヤツは俺くらいしかおらず、殆どがコーヒーを頼んでいる。会話をしているテーブルもあるけれど、特にじいさんたちが三人ばかり集まったテーブルは特になにをするでもなくぼーっとしたり、スポーツ新聞を読んだり、スーパーの袋とレシートを照らし合わせたりしてめいめいの日曜の朝を過ごしている。これ、もしかして毎週そうなんじゃないだろうか。とか考えるだになにか感じ入るものがあったとか。

 10時頃になるとなにやら旅行客もまばらにやってきて、席の占有率が高くなってきたのでお暇することにした。ちなみにそんなに狭いわけではなく、かなり広い感じがある。2Fもあるようなので、もしかしたらそんなに気を使う必要はなかったのかもしれない。

 というより、このころになるとソフトクリームで冷えた血が回ってきて、いくらか寒くなってきたのだ。次回はもうすこし量が少なくてもいいと思ったので、来ることがあれば、ホットケーキと一緒のやつにしようと思った。このホットケーキがまたおいしそうなのである。というかサイドメニューかコーヒーを別にたのむのが一番いいと思います。いや、これコーヒーと頼んだら至福だよ!


 行き先も決まらないまま店を出た。

 次回、伊東ラーメン編
 まだ食うのか。