ナントモハヤ

明日のぼくを殺せ。昨日のきみを救うために。

過去について1/リサ・キーンの朝食・オリジン

http://ch1haya.hatenadiary.jp/entry/2012/09/30/154828

 

この前、ファング・オブ・ザ・フロッグがツイッターに来て最初に書いた小説だと思ってたけど、もっと先に書いていたのがあった。

短編小説ぶっこんだ同人誌チハやぼんには入れてなかったのですっかり忘れていたが、これが最初に書いた小説らしきものだ。純文学っぽい。

結局純文学ってなんなんだというのは当時から、いや中学受験中のころから分類はよくわかっていなかった。新潮文庫は純文学で、角川文庫はエンターテイメントで純文学ではない。それくらいの雑な認識でいたし、今もそうだ。

主人公が鬱々としてアクションシーンがなければ純文学なのかもしれないと思ったりしていた、あと学がついているのもずっと気に入らなかったがまあでもこの時自分が書けそうなもの、書いてなんか迫力というか説得力がありそうなもの、手なりで書いて形になりそうなのは慣れ親しんだこのパターンしかなかった。

なまじエンターテイメントを書けばうすい化けの皮が剥がれるような気がしていだとも言える。こういう何かうがった、ポエミーなものであれば読まれないか、深読みされるかなんかして本質である底の浅さは露呈しないだろう。という腹づもりであった。

人間、そんなに他人に興味を持ったりはしないことに気づいていたはずなのにこういうことをする。ほんとうに底の浅いことである。

この話は実話でもなんでもないが、俺がたった2年アメリカにいたころの話である。真っ黄色な走る牢獄がごとしスクールバスと、広いようで行動範囲も何もかもが狭いアメリカの中学生社会、俺の多感な中学生時代は水の合わないアメリカという土地に塗りつぶされていた。

言葉が通じないのも、ほとんど外を出歩けないのも、自分の欲しいエンターテイメントを摂取できないのも、外国人クラスで「アジア人」と一括りにされるのも、そのクラスに君臨する偽善の塊のような醜く太ったいかにもアメリカという風采の女教師も、全てのシステムも何もかもが憎かった。中学二年生という時期も相まって周りにある何もかもが気に食わなかった。

日本にいてもそうだったと思う。およそ勉強もせずに、努力の価値と方法と与えられた環境の恵まれさ加減に気づかないまま入った進学校でみるみるうちについていけなくなり落ちこぼれた。中学一年生程度の新しい知識のはずが、全て自分が今までただ漫然と読んでただ排出されなかっただけの知識でごまかすことができなくなった。

 

ところで、いまラーメン出てくるのまってるんだけど、俺はなんでメシを食う前にゲロの話の解説をしているんだ?

 

スクールバスが舞台ではあるが、アメリカ生活の中で現地校に通うのは親に車で送ってもらっていた。さすが車社会。おそらく歩いても行けたと思うが。

しかしアメリカの夏、俺はサマースクールにぶち込まれた。サマースクールというのはやたらと長い夏休みの間子供達を集めて集団でいろんなところに連れてってくれるやつだ。毎日が社会科見学である。遊園地いったり演劇を見せてくれたりもした、キャッツみたけど全部寝てた。

俺はどうにもミュージカルとか歌舞伎とかのものの楽しみ方がわからんので、こういう価値のありそうな本場のものに触れてもただ寝てしまう。もったいないとは思うんだけど興味を持たないのでいたし方ない。

しかしこのサマースクールっていったいいくらくらい払ってたんだろ。冷静に考えるとかなりかかりそうだが、それでもバス2台くらいのツアーだったし、公的なマネーが流れ込んでお手頃だったりしたんだろうか。

しかしこのサマースクール、結局殆どが移動である。移動にはもちろんみんなが映画でよく見るあのドギつい黄色のバスに乗る。よく誘拐されたり爆弾が仕掛けられたり変形したりと愛されてるアレ。

思い返すだにあのバスは最悪の極みだった。揺れるし臭いし椅子のスポンジはなくなっていてどいつもこいつも砂糖が飽和したジュースをぶちまけるのでらそこら中がべとべとする。メンテナンス大国のありがたさが身にしみる。挙句アメリカの悪ガキが暴れるので移動中は阿鼻叫喚。そりゃゲロ吐く子も出てきますよね。

この話の主人公はもちろん俺がモデルだし、俺のその頃の鬱屈をわりと素直に描写してしまっている。フィクションであるのは女の子の吐瀉物に執着していることと、おれはこんなに外人とコミュニケーションを取れなかったということだ。

アメリカに2年間いた挙句進学校に逃げ帰ったおれは見事現代文の成績だけを進学校のレベルに合わせて舞い戻った。

なんかのマンガにあった引きこもりのセリフ「なぜ日本人ともうまく喋れないのに、外国語の勉強をしなければならないのか……」本当にその通りだと思う。読み書きはともかく、言いたいことを喋るのはともかく、人間が喋ってるのを聞き取るのが壊滅的にダメだった。

しかし日本に帰ってきて気づくのである。

日本人が喋ってる日本語も、おれはまったく聞いていないのだ。

耳と頭と性格が悪いの三重苦でもはや絶望的である。人と関わりたくない……。

なんだっけ、そうそう、俺は別に女の子が隣でゲロ吐いたことはないし、その吐瀉物に欲情したこともない。とはいえ、フィクションで女の子がゲロ吐いてるのは「あっ……いいなあ……」って思うんですよね。思うでしょ?

 

まとまらなくなったのと2000字すぎたので今日はこの辺で。昔の創作をダシに自分の話をするやつ今回もおひらきです。