ナントモハヤ

明日のぼくを殺せ。昨日のきみを救うために。

文具沼に沈む1 デュオフォールド センテニアル

 道具とは……(ドラえもん顔)


 何篇かに渡って文房具沼に沈みゆくちはやさんの姿をお届けしようかと予定しています。




 母方の祖父が死んだ。
 いつ死んだかというと、もう去年のことで、およそ十月経とうとしている。時間の流れは速い。記憶に新しい大震災の数日後のこと。高齢ながらもまだ知識人のカタワレとして活動をしていた祖父は、その二年前にも脳溢血で倒れ心臓を止めたが、心臓に時計を埋め込んで果敢にもこの世に戻ってきた。健康であることのプライドがそれでさらに肥大したのかはわからんが、都心の交通網が麻痺したあの日。周囲の人々が止めるのも聞かず、止せばいいのに四捨五入すれば卒寿の杖付く身にもかかわらず自宅まで歩き果せた。電話が再開すると、娘に自慢話をして寝たという。その次の朝。呼吸が止まった。

 およそろくでもないものが色々遺され、娘である母は(次女のはずなのに)大変この一年苦労したようだ。詳しい話は別の機会にするかもしれないし、しないかもしれない。
 遺品を整理していた母は役得であるとばかりのめぼしいものの中から一本の万年筆をくれた。金の矢をモチーフにしたクリップと金冠が映える黒い万年筆だった。

 そもそもぼくは、以前から万年筆を一本持っていた。セーラーのプロフィットなる名前のそれは、初めての持ち物ではあったが特に当時のぼくの琴線に触れることなく、他の有象無象のペンと一緒になって放置されてしまっていた。最初は物珍しくて、持ち歩いていたりしたのだが、おそらく今より輪をかけてズボラであったぼくは万年筆においてキャップを閉める重要性なんてものを知らなかったし、そもそもこのペンはインクがわりとダバダバと出るタイプらしく、大変にもてあましたあげく、インクを爆発させたのであった。

 まあそんなことがあったもんだから、万年筆なんてものはもはやこりごりであった。この祖父、社会的にはどうやら評価のある人であるらしいのだが、家庭的にはどちらかといえば、控えめに言ってもクズの部類に入る人であったから、その持ち物を使うことに若干の抵抗もないわけではなかった。二重否定で身内に向ける感情を失礼のないよう曖昧にしていきたいという気持ちがあらわれていますね。やかましい。そんなわけで日常の付き合いもそこまでなかったわけで、この金色の矢羽根がついた万年筆を使っていたかというのも記憶にすらない。思い入れなど、まったくないのだ。
 それでもまあ、万年筆が筆記具の癖にやたらと高いもので、ぼくの意識としては「そんなカネがあるなら新しいモバイルか、ポメラ買うわい!」というところであります。それですらipadにブルートゥースキーボードを装着してしまった現状に代わらなさそうな気がする。はてなブログははやくipadでもサクサク更新できるようにしてください。何の話だっけ。そうそう万年筆高い。高いから触る機会がないわけで、まあそれなら、こうして以前触れたのと違うものに触れればなんらかの感想も抱けるであろう。と。たいへん真摯な考えを抱いたちはやさんは試してみたのであります。

 書けない。

 ファックこいつ図体だけのデクノボウだぜ! 沈めちまおうよ兄者! 弟はいません。それはさておき、ペン先にインクの跡が付いているのにでねえのも変な話であるので、ちょいちょい水につけてみると、しばらくしてインクが流れ始めたのか文字を吐きはじめたのであります。「良い子だ……やれば出来るじゃあないか……ホゥラ……目覚めたてのきみがなにを隠しているのか……オジチャンにようく見せて御覧……?」みたいに囁きながらダラダラペン先を流していると、脅しが利いたのか俄に本気を出し始めたのであります。

「あっ……やだ……書き易い……」

 処女のような声が出ました。なにこいつ誘い受けなの? ヌルッときた。麻雀で白を盲牌したときのごとき感覚。「あっ、ボールペンって紙の上に擦りつけてたんだ……」なる実感。これは違うんだ、滑ってるついでにインクを紙に落としていくようなそんな感覚。触れるだけで感じちゃう。前述のセーラーのも劣らずともそうだったはずなのだけど、やはり「使い込まれている」こととか、インクの感じとか、おそらくぼくが以前触れていたときよりも充分な歳をとってしまったおかげで、わかってしまったような、そんな気がしたのであります。(セーラーのそれも、また別の機会に言うかもだけど、決してわるいものではなかったのです)
 それでまあ、矢羽根の黒い奴――それはパーカーのデュオフォールドという名前のどうやらセンテニアルというサイズのものらしい。確かにぼくでも名前を知っている。軽く調べてみると定価ではホワー万円する。もはやPS3の初期型が買えちゃうお値段であり「モノ売るってレベルじゃねえぞ!」の情景が違う意味で体内に響いてくる。しかしその値段もノートにこいつでごりごりと文字を連ねていくと「しょうがねえな! これならしょうがねえよ!」みたいな気分になってくるから不思議だ。まあ自分では出さないだろうなと思う(と今では言っているが、既にけっこう文房具に注ぎ込みはじめているので、いつン万円レベルのものを自分で買い出すかわからない、こわい)。

 何が「しょうがない」のかというと、書いてて気持ちが良いのだ。そこはやはりエンピツを握って書き取りをして育った世代であるからして、パソコンで文章を打つのが出力のメインにシフトしても、いまだに脳からの出力には追いつかない。やはり変換というノイズや、様々な要らない情報(そして魅力的な情報)なんかが溢れすぎてて、脳のフレッシュな出力はどこかにいってしまうのだ。ところが、書きやすい万年筆は――とか言ってもまだそこまで使い込んでいるわけではないが――脳からのフレッシュな出力を無駄にせず、そのままほぼダイレクトに紙へと書き出すことができる。そうなるとだんだん気持ちが良くなる。キーボードの出力でもそれなりにそこにはたどりつけるのだけど、これはその境地にたどり着くまでが明らかに早い。脳から汁が出ている状態というか、大げさに言うと半ば夢を見ているような自動筆記状態になるのだ。まあその状態のノートはあとで見られたものではないので、やりすぎると本当にただの自慰行為になりさがるのだけど……。というか文章を書くのはそもそも自慰行為ではないのか、そりゃそうだ! 一件落着! 万年筆気持ちいい! 気持ちいいよぅ!(やめなさい)
 実際、慣れや、環境のカスタマイズが必要なわがままな道具である万年筆だけど、それらを整えればボールペンや鉛筆よりも明らかに早く、わりかし映えるものが出力されてくる。あと長丁場に強い……ような気がする。「ああもうATOKでも漢字変換は結局かったりいな、わかってるんだよちきしょう!」みたいな人にはオススメです。差別用語や卑語もノートに書く分には検閲されないからカキ砲台(誤字)だね! ちんこ!(ちょっと黙ってろ)
 



 次回は二本目の遺品万年筆を手に入れて、多様性に打ち震えるちはやさんをお送りするかもよ!


 みんなも万年筆の魅力に取り憑かれて、文具沼にハマろう!(流行に乗ってやったみたいな感違いステマ顔で、2012)




撮ってみた 字が上手になりたくなる。


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万年筆 パーカー デュオフォールド センテニアル(1990年頃だと思う) Bニブ
インク 色彩雫「月夜」
ノート MDS TSノート縦罫